器用貧乏は良くないとか言われる風潮があるなぁと思って。
でもよくよく考えると器用貧乏がダメなのではなく、切り分けて考えてみると「高負担・低単価・中クオリティ」だと誰も得しないという話な気がしたのでそのメモ。
クライアントワークで、特に個人事業主などの場合は、下記の2パターンが想定される。
- めちゃめちゃ高負担なのに、低単価で、最終的な成果物もあまり納得のいくものが出てこないパターン
- 中ぐらいの負担で、中ぐらいの単価で、最終的な成果物が想像以上のモノが出来上がるパターン
上は最悪だけど、スポットワーク的に仕事をしていると往々にして起こりうる可能性があり、下はとても健全な状態である。
仕事で目指すべき状態は、「中負担・中単価・高クオリティ」かもしれない
相手にとって最終的な成果物は、良い物であればあるに越したことはない。
業務を進める上で、どうしてもどこかに負担がかかってしまうことはある。
しかし、色々と引き受けて、最後に良い成果物にならないのは本末転倒である。
具体的な事例
2023年末からのつながりで横須賀にあるスイーツ屋のブランディングに携わった。
そこでは、そもそも事業がうまくいって欲しいという気持ちに加えて、元からの縁もあり色々と気合いで乗り切ろうとした。
もちろん最終的には、忙しい中でも形にはなったが、それが健全だったか一人で反省する機会があった。
もし、ピンポイントにWeb制作だけを受注するとか、プレスリリース記事だけの対応に絞り、そこに時間をフルベットしていたらもっと高い点に到達したかもしれないということ。
高負担を自分にかけて、実際の案件単価はそれなりの金額になり、最終的に全部のポイントにおいてクライアントを満足させる成果を出すことができなかった。
受注した会社は必ずしも親身になって相談に乗ってくれるわけではない。
少し話は外れてしまうけど、世の中のクライアントワークする事業者は必ずしも親身になって相談に乗ってくれるわけではない。
例えば、LP制作300,000~や500,000などで受けるとして、その中に売り上げが立たなかったらLPを作った代金を返したり、満足がいかなかったら買わなくていいですという事業者はあまり多くないと想う。
どの程度の責任を果たしているか。
本来、発注者の方が負担は大きく、受注者の方が負担は少なくなりがち。
それは、受注した方からすれば自分の事業でもないから本気にならなくても事業がすぐに立ち行かなくなるわけではないという潜在的にサボれる要素が含まれていると思う。
客観的にも、発注先の事業がうまくいっていないとしても受注した側(Webサイト)を作っている人には本当の意味での責任はないと思う。
そして実際そういうケースも聞く限り多そうだ。
結う -webでやりたいこと
結う -webのプロモーションになってしまうけど、まずエンジニアとして技術を普段から磨いているからこそ、最新技術を持ってして課題に向き合うことができる。
加えて、メインの取引先は、個人事業主や個人経営の飲食店等なので「何より潰れてほしくない」し、「そもそも良いサービスを提供していることを知っている」ところからのスタート。
本来、発注者が望んでいるのは高クオリティのモノであるので、今回のような「高負荷がかかりながら、中ぐらいのクオリティ」になってしまうような状態は避けないといけないと感じるし、そうあるべきだと思う。
まとめ
「高負担・低単価・中クオリティ」ではなく、「中負担・中単価・高クオリティ」を目指したい。
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