「自分がこうしたい」と「こうあるべき」が混ざると全く訳のわからない議論に発展していくと感じた日記。
自分がこうしたいんだという感情論をある議題に対してぶつけるとそれは過去の成功体験だったり、失敗体験だったり、自分の美的感性が混じり出す。
一方で、こうあるべきというのは客観的に見た時に、特定の議題のゴールがこうあるべきという姿であって、そこには感情が入り込む余地がない。
目次
雑談をしたい!
もし、雑談をしたいだけならば、「自分はこうしたい」「自分はこれがいいと思ってる」の議論で良いと思う。
それは、答えを求めている訳ではなくて、その場が楽しむことがゴールになるから。
その場を楽しむだけであれば、明確な解決などを意識して会話することがないため、ゴールに辿り着かないこともゴールになる。
何かを解決したい!
しかし、何かを解決する時。
それはビジネス的な何かかもしれないし、自分のキャリア的な話なのかもしれないけれど。
何かを解決しようとする時は、感情を混ぜずにこうあるべきを議論する方が答えにたどり着くのが早かったりするし、数ある選択肢の中で正解っぽい答えに辿り着くことができる。
まとめ
「自分がこうしたい」のか「こうあるべき」なのか。
話し合いをする内容によって振る舞いを変える必要があると感じた。
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